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ぼくがグラフィックデザイナーになるまでの物語

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ミロク

ミロクです。(@mirokurocloverZ)

この記事では、北海道民のぼくカサイミロクがグラフィックデザイナーになるまでの物語を書きました

これからグラフィックデザイナーになりたいなと思っているあなたに参考になるかもしれないよ

グラフィックデザイナーが夢だった高校生

ミロク

釧路北陽高校でした。

「グラフィックデザイナーになる」って言ったら同級生に笑われたな。なぜ笑ったのかはわからないし、全然傷ついたりはしなかったけど覚えてるってことはそこそこ悔しかったのかな

机に落書きをいっぱいしたり、ノートにロゴマークを書いたりしてた。美術が選択科目で2年連続とか受けれなくて、しょうがなく書道を受けて墨でよく絵を描いてる。そんなバスケ小僧でした

大学行くときに、なんとなく2年で終わる専門学校が嫌で4年生の大学を選びました

グラフィックデザイナーが夢だった大学生

就活生の写真

ミロク

今はもうない東海大学旭川キャンパスでした。

大学入ったときはもうすでにグラフィックデザイナーという夢はブレてた

建築、家具、インテリア、アートコースといろいろあったからいろいろ挑戦してみた

はっきり決めたのが3年生ぐらいのときかな。正直周り比べてかなり遅かったと思う

地獄のインターンシップ

インターンシップっていうのは職業体験みたいなやつで、1ヶ月とか実際の会社でお世話になっていろいろ学ぶんだけど。行く度に「インターンシップなんてもう二度と行かねえ」って思った。結局3回行ったんだけどね

なぜかと言うと、絶対こんなとこで働きたくねえって思ったから。みんな顔や目が死んでるんだもん

まぁ業界がもうそういう感じなのは知っていた、夜は遅くて賃金は低い

作品集を見せてもボロクソ言われるし、なんだかデザイナーというのは大変だなって思った

理想のデザイナー像があったぼくは「なんだかなぁ」って感じだった

押し寄せる就職難の波に呑まれる

ぼくらの就職活動の時期にちょうど東日本大震災が起きたのね

北海道は関係ないじゃんって思うかもしれないけど、あのときは日本全体が落ち込んでて元気なかったよ

そんな中でぼくの周りも就職活動にかなり苦戦してた。東京で内定もらってた話がなくなったり。芸術系の大学に入ったのにみんなクリエイティブな夢を諦めて、全然関係ない業種の内定をもらっていた

ぼくは諦められなかった

グラフィックデザイナーが夢のニート

ミロク

夢を諦められなかった結果、ニート\(^o^)/

まさか自分が無職になるとは思わなかったよね。引きこもりになりました

その頃、ももいろクローバーZさんにはえらい救われたね。楽しくて二次創作とかのグラフィックをいっぱい生み出した

あと実家にはめちゃくちゃ大量の本があって、読みまくった。ここでちょっと自己啓発本にハマったよね

3ヶ月ぐらいニートして、最後の会社を受けてこれでダメだったらバイトしてウユニ塩湖行こうって思った(このときなぜかめちゃくちゃ海外に行きたかった)

本当はこの最後の会社、めちゃくちゃ逃げたかった。やっぱやーめたってやりたかったし何回も迷った。でも行った

面接だけじゃなく実技試験があって、ポスターだったかチラシだったかを作るやつ。必死過ぎてあんまり覚えてないけど、とにかくこれが最後だと思って頑張った。面接も必死に自分をアピールして情にも訴えかけたり

グラフィックデザイナーになった

嬉しい僕の写真

ミロク

晴れて夢が叶いました。

そしたら採用の電話がきた。あのときのこと今でも覚えてる、ソッコー当時の彼女とゼミの先生と親に報告した

自分がお金を払ってもらってデザインの仕事をしているなんて信じられなかった。だから4年半勤めたその会社を辞めた今もめっちゃ一生懸命努力してこの仕事をしている。デザインには必ずその対象物に答えがあって、それをカタチにしてます。楽しいよ、時に辛いけど諦めなくて良かった

 

本当は心の底から叫びたい、誰にだってある逃避願望の渦。でも逃げるくらいなら死んだ気になってやってみよう。そこから始まるから

これが、ぼくがグラフィックデザイナーになるまでの物語です

おわーり

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